下村元文科相夫妻

 手元に「グローバル教育説明会」と題したチラシのコピーがある。チラシそのものの日付はないが、説明会が敬老の日の2013年9月16日13時半からとなっているので、配られたのはその少し前だろう。広島県福山市の私立「英数学館小学校」が催した英語学習プログラムの勧誘チラシである。

 本誌5月号「安倍首相『腹心の友』の商魂」でも触れたように、英数学館小は岡山理科大学を運営する学校法人「加計学園」傘下の小中高一貫教育の小学部だ。現在、加計学園グループを率いる加計孝太郎の長男役(まもる)が、経営母体である「広島加計学園」の理事長を務めている。

 この英数学館小学校が06年3月、米ヴァージニア州のグレートフォールズ小学校と姉妹校提携を結んだ。以来、毎年「イマージョンプログラム」なる英語の集中授業をおこなってきた。くだんのチラシは、姉妹校提携から7年後の13年のものだ。そこに2人の女性がコメントを寄せている。1人は安倍昭恵、もう1人が下村今日子である。

〈グレートフォールズ小学校との姉妹校締結の橋渡しをさせて頂き、大変光栄……〉

 昭恵の熱いメッセージに続いて今日子もコメントしている。

〈私がアメリカの小学校と英数学館のイマージョン教育同士の姉妹校提携の調印式に参列してから7年が経ち、今年小学校イマージョンクラス1期生が中学へと上がりました。英数学館は常に未来を見すえ、子供たちが夢や志をグローバルな社会で適えることができる最高の教育環境を与え続けています〉

 加計学園による米国の小学校との姉妹校提携は、第一次安倍晋三政権が発足する半年前のこと。奇しくも第二次安倍政権が発足した明くる年、提携の立役者である2人の夫人がチラシに登場している。首相夫人と文科大臣夫人、2人の間柄を会社組織にたとえたら、社長夫人と重役夫人のようなものだろうか。

下村夫妻(下村氏FBより)
 そしてこの13年あたりから、加計学園が愛媛県今治市での獣医学部開設の実現に向け、目まぐるしく動き始めた。加計の相談相手は、40年来の腹心の友だけとは限らない。盟友の部下である下村博文もまた、加計が頼りにしてきた国会議員だ。

 首相のお友だちの1人と揶揄されながら、文科大臣という重要ポストに就いた下村が、私大の獣医学部設置の許認可権限を握っていたのは言うまでもない。まさかそのために下村を大臣に就かせたわけではないだろうが、昭恵と同じく、下村夫人の今日子もまた、加計学園とは切っても切れない旧知の間柄だ。

 今日子は加計や昭恵とともに、広島加計学園の米フォールズ小との提携に尽力してきた。2人の夫人は、夫に代わって加計と酒を酌み交わす仲だ。悲願の獣医学部新設に燃える加計にとって、安倍、下村の両カップルは、ことのほか大事な友人である。そうして第二次安倍政権が発足すると、小泉純一郎政権時代の構造改革特区から衣替えした国家戦略特区を使い、1966年の北里大学以来、52年ものあいだなかった獣医学部開設のレールが敷かれていった。

「後ろ盾は総理」に驚いた

「(加計学園を設置母体とする獣医学部の新設は)民主党政権のあいだも7回にわたって要望があり、それまで『対応不可』とされてきた措置が、平成21(09)年度の要望以降は『実現に向けて検討』に格上げされている。安倍政権がそれを前進させ、実現させた」

 文科省の文書問題で揺れるさなかの5月25日、官房長官の菅義偉は定例会見でこう発言した。「総理のご意向」で行政がねじ曲げられ、加計学園の獣医学部が新設されようとしているのではないか、との批判に対し、獣医学部の新設は民主党の鳩山由紀夫政権時代でも進めていたから、安倍政権独自の政策ではない、といわんばかりの弁明である。

 だが、ことの経緯を細かく追うと、そうではない。加計学園の獣医学部計画のスタートは、周辺12市町村が合併して05年に誕生した新生今治市の越智忍市長時代だ。

「市長になってしばらくして愛媛県議を通じ、岡山の加計学園が獣医学部ピンポイントで申し入れてきました。で、西日本に獣医学部がほとんどないから特区でやれないか、となった」(越智)

 06年9月から07年9月までの第一次安倍政権でのこと。加計学園の申し入れにより、構造改革特区制度を使った獣医学部設置の提案が持ちあがった。そのあいだの07年2月、日本獣医師会顧問の北村直人は加計本人と密かに会っている。こう明かした。

「加計さんはずい分積極的で何度も会談を申し入れてきたが、会うと獣医師会に説明した既成事実がつくられるので断っていました。でも、関西の獣医師から強く要請され、獣医師会本部では嫌だと言い、加計さんのセッティングで赤坂の料亭『佐藤』で会いました。どの国会議員と親しいのか聞いておく必要があるとも思い、岡山の人なので『親しいのは平沼赳夫先生、それとも片山虎之助先生?』と尋ねると、『いえ、安倍さんです』と言う。後ろ盾が総理なのか、と驚いた覚えがあります」

談笑する安倍首相と加計氏(中央)。萩生田光一のブログ「永田町見聞録」より
 獣医師でもある北村は田中派の元自民党代議士で、獣医師会の重鎮として知られる。獣医学部新設反対の急先鋒の1人だが、このあたりまで、永田町でも安倍と加計の関係はほとんど知られていなかった。

「ただいくらバックが総理でも、獣医の現状やこの先の状況を踏まえると、獣医学部新設は考えられない。実は、小泉政権時代の04年から東京農大や帝京科学大学など獣医学科の新設を訴える大学はたくさんあり、構造改革特区申請を検討しているという話も入ってきました。でも、できっこないから、まだ危機感はありませんでした」(北村)

 07年9月末、安倍自身が突如退陣。福田康夫が政権を引き継いだ。加計は大事な後ろ盾を失った気分だったに違いない。結果、この年の11月から14年11月まで、今治市が構造改革特区制度の下で獣医学部の新設を15回も申請し、すべて門前払いに終わったのは何度も報じられた通りだ。

 ちなみに官房長官の菅は、初めて特区申請したのが福田政権時代なので加計学園の獣医学部計画は安倍政権時代のものではない、と釈明する。が、福田の次に首相に就いた麻生太郎はもともと自民党内で学部の新設に反対してきた1人でもあった。民主党政権時代、今治市は粘り強く政府に働きかけ「検討する」という表現を引き出したが、それもほとんど相手にされなかった。

 加計学園にとってそんな絶望的な状況が一変したのは、安倍自身が首相にカムバックしてからだ。12年12月、第二次安倍政権が発足すると、下村が学部設置の認可を与える文科大臣に就任した。

2人の夫人と加計の関係

〈安倍内閣総理大臣夫人から〉

〈下村文部科学大臣夫人から〉

 先のチラシで、加計学園は2人の夫人のメッセージをそう紹介している。彼女たちは加計に連れられ米国の小学校との提携調印式にも出席した。また姉妹校提携の翌07年には、日米首脳会談に合わせ、安倍、下村両夫妻と加計が渡米している。当時の下村は官房副長官だ。

違法献金疑惑を受け、会見を開いた下村氏 ©時事通信社
「総理としての初訪米にあたり、昭恵さんはブッシュ夫妻との公式食事会に今日子さんまで同席させるよう強くリクエストしていました。ホワイトハウスは官房副長官の同席でさえ渋っていたのに、その夫人まで同席させるなんてありえない。案の定、米国側から拒否され、食事会に参加できませんでした」

 加計学園関係者が当地のそんなエピソードを教えてくれた。

「また今日子さんは、大使公邸レセプションのあと、『(昭恵と)2人でディスコに行きたい』と言い出したけど、近くに首相夫人が行けるようなディスコがないと止められ、やむなく2人でホテルのバーに繰り出した。そこで飲んだくれ、翌日の飛行機に乗り遅れるというハプニングまでありました」

 下戸だった首相に代わり、大酒飲みの夫人たちの面倒をみてきたのが、ほかならぬ加計なのだ。もっともそこまで友情を大切にしているからこそ、夫婦で米国の小学校との提携に一役買ってきたのだろう。当地で日本人向けに発行している「ワシントンDC日本商工会会報」(15年6月号)は、広島加計学園と米グレートフォールズ小の姉妹校提携の経緯についてこう記している。

〈ワシントンの日本大使館を通して安倍夫妻にご紹介いただいた、ご友人が経営されている広島加計学園英数学館小学校と姉妹校となりました〉

 10年には安倍自身がグレートフォールズ小の日本庭園開園式に出席。第二次政権発足後の15年4月28日には、昭恵がミシェル・オバマを連れて小学校に視察に訪れている。先の会報にはこうある。

〈オバマ夫人が安倍夫人に「生徒の日本語はどうですか?」と尋ねられ、安倍夫人が「パーフェクト」と答えられ、生徒達が大喜び〉

文科大臣元秘書の回想

 一方、第二次政権発足以降、今治市が従来の構造改革特区制度の下で獣医学部新設の申請を繰り返すその間、加計はそれまで以上に下村夫妻に近づいた。

「僕が下村代議士の秘書になったのは、文科大臣になったすぐあとの13年2月。秘書は代議士の日程を共有しているので、すぐに『加計学園』を知りました」

 そう言葉少なく語るのは下村の元公設第一秘書、平慶翔だ。昨年8月、下村事務所を辞め、来る7月の東京都議選に小池百合子率いる「都民ファーストの会」から出馬する。

「そのせいであらぬ誹謗中傷を受けています。しかし僕自身は、辞めたから何でも話せるわけではありません。記憶している限り、代議士本人は頻繁に加計さんと会っていたという印象はありませんが、夫人は年に5回以上は岡山や広島に新幹線で行っていましたね」

 当時、8人いた秘書のあいだでは、昭恵と今日子が加計とともに連れ立って訪米したり、ミャンマーや韓国へ旅するのを「スッピン旅行」と皮肉っていたそうだ。化粧もせずに素顔のまま旅行できるほど、2人は仲がよかった。

 また、例の森友学園問題では、首相夫人付きの秘書が話題になったが、今日子もそれに倣ったという。

「昭恵さんには総理大臣夫人付き秘書がいるのよ。私もほしいから、ちょっと考えといて」

 運転中の秘書にそう訴え、平がその任を兼務させられた。そのことを知るある元秘書はこうも話した。

「代議士が文科大臣になってから、今日子さんはずい分生活が派手になったと評判になりました。服装もバッグもキラキラしたものを好み、各国の駐日大使館のパーティに進んで出かけていました」

 繰り返すまでもなく、下村今日子は当時、獣医学部新設の成否を握っている文科大臣の夫人である。それでいて13年3月、広島加計学園の教育審議委員にも就いている。年に5回以上も、岡山や広島を訪ねていたのは、そのためだろう。が、その費用は下村事務所や文科省の負担ではないという。すると、ポケットマネーで捻出していたのか、それとも加計学園側が負担してきたのか。さらには報酬がどうなっているのか、そこも気にかかるが、「今日子には加計サイドから月々何十万かの顧問料が支払われている」という話も秘書のあいだで飛び交ってきた。

 そんな折、これまでことごとく却下されてきた獣医学部新設にも変化が見られた。前述した今治市による構造改革特区の提案は07年から14年までの15回。慎重姿勢を示していた文科省は08年11月、有識者による「獣医学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議」(協力者会議)を設置し、表向き獣医学部の新設を検討してきた。

 加計と下村が密談を行ったのは、そんな中の14年3月頃である。(敬称略)

料亭に招かれた文科大臣

 加計と下村が密談を行ったのは、14年3月頃である。場所は赤坂の料亭「佐藤」だ。先の下村の某元秘書は、「日頃下村と加計の連絡は電話で済ませることが多かったが、重要な案件の場合は面談してきた」という。前述した日本獣医師会顧問の北村によれば、「佐藤は加計と安倍が頻繁に使ってきた店」だそうだ。

 会合をセッティングした加計学園側は、理事長の加計本人と秘書の2人、招かれた側は下村と秘書の2人だった。

「お忙しいところご足労いただきまして」

 下座で待っていた加計が下村たちを部屋に招き入れ、下村が床柱を背に正座した。そこで唐突に下村が言った。

「おろしました」

 そのひと言で、張り詰めた空気がいっぺんに緩んだ。そこからアラカルトで運ばれてきた日本料理を口に運びながら、20分ほどすると、双方の秘書が席を外した。部屋にコンパニオンが入るまでのあいだ、2人だけで会話が進んだ。

 繰り返すまでもなく「おろしました」という表現は、加計学園側が文科大臣の下村に相談した用件にかかわる話だろう。学園側の要望を叶えるよう文科省の担当部署に指示を下ろしたというふうに受けとれる。

 もっとも、あくまでこの時期は構造改革特区制度の下でのやり取りだ。料亭での会合から3カ月後の6月に発表された先の文科省の協力者会議でのまとめでは〈速やかに検討する〉との回答を示してはいるが、やはり具体策には踏み込んでいない。そこで渦中の前文科次官、前川喜平に協力者会議について感想を求めた。議論自体にはかかわっていないと言いながら、こう解説する。

「協力者会議のまとめには、政策を見直して前に進めたい、というのと、検討するけどやらない、という2通りがあり、後者は検討しているあいだに大臣が代わってくれればいいという発想。これは後者かもしれませんね」

 文科大臣時代の下村はトップダウンで事務方に政策を指示し、押し通してきたという。それだけに省内でも、気を使いながら獣医学部の新設を阻んできた。結果、学部新設に向けた議論はさほど進まなかった。

違法献金疑惑について会見する下村氏 ©時事通信社
 その状況が大きく動いたのは、協力者会議のまとめが発表された翌15年に入ってからだ。このとき強面大臣の矢面に立ってきたのが、前高等教育局長の吉田大輔である。慎重に言葉を選びながら重い口を開いた。

「私は反対していたわけではなく中立ですが、文科省の告示で(獣医学部の新設を認めず)規制してきたわけです。だからそれを変えるとなると、きちんとした根拠が必要になります。他にもいくつか希望している大学がありましたし、下村大臣時代に出した4条件(後述)を満たすかどうか見極めなければならない」

 獣医学部新設に道を開いたのが、構造改革特区から国家戦略特区への提案先の変更だ。加計学園と連携する今治市は、内閣府が〈構造改革特区の規制の特例措置について、国家戦略特区計画に記載し総理の認定を受けることで活用が可能〉と定めた制度を使い、15年6月4日、「国際水準の獣医学教育特区」として申請をやり直し、そこからことが進んでいく。

首相とお友達が霞が関を蹂躙

 もとより獣医学部新設に異を唱えてきた文科省や農水省では、「国際水準の教育」という曖昧な表現に首を傾げた。自民党内でも農水族議員の石破茂が地方創生担当大臣として、待ったをかけようとした。その石破と文科大臣の下村とのあいだでできあがったのが、6月30日の「『日本再興戦略』改訂2015」の閣議決定である。「既存の獣医師養成でない構想が具体化し」、「ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要」、「既存の大学・学部では対応が困難な場合」、「近年の獣医師の動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う」という“4条件”だ。

 この4条件について、獣医師会や文科省内では、新設の獣医学部ではとてもクリアーできないと考えた。実際、今にいたっても加計学園が要件を満たしていないと主張している。それは至極正論でもある。

 一方、国家戦略会議の議長を務める首相は、鳥インフルエンザなど感染症対策の高度な獣医養成は必要だろうなどと耳触りのいい話をする。そんななか、現実には明確な根拠も示さず、加計学園を擁する今治市の計画が4条件をクリアーしたとする内閣府に、文科省はさしたる抵抗もせず、丸め込まれてしまった。いわば内閣府としては、この4条件を持ち出せば、他の大学や自治体が引き下がり、加計学園の1校限りで済むのだから大目に見ろ、という条件闘争に持ち込んだともいえ、事実、それまで手を挙げようとしていた東京農大や帝京科学大、新潟市などが計画を断念した。

 そして閣議決定から半年後の15年12月15日、国家戦略特区諮問会議で「広島県・愛媛県今治市」が指定区域に決まるのである。

加計孝太郎氏 ©共同通信社
 下村自身は、この年に浮上した支援団体「博友会」の献金問題に続き、新国立競技場整備計画の白紙撤回もあり、10月には文科大臣を退任する。反面、15年の時点で、あとは文科省への学部設置申請とその認可を待つのみ、すでに加計学園の獣医学部設置へのレールは完成しつつあったといえる。

 ところが、そこで計算違いの事態が起きる。全国の大学や自治体が特区申請を断念するなか、ライフサイエンス分野の得意な京都産業大学を擁した京都府だけはあきらめなかったのだ。明くる16年3月、改めて国家戦略特区での獣医学部新設を申請した。

 慌てたのは内閣府だろう。が、その一方で、下村大臣が去ったあと、内閣府から18年4月の学部開校に向けた設置認可を迫られている文科省としては、抵抗の余地が生まれたことになる。昨年9月から10月にかけ、「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」という内閣府の圧力を暗示する文科省の文書が記されたのには、こうした舞台裏があるのだ。

 半世紀ぶりの獣医学部新設について、国家戦略特区諮問会議議長の首相は、岩盤規制をぶち破ったと胸を張る。しかし、その実、腹心の友を特別扱いしただけではないか、という疑念が晴れない。そして存在する行政文書までなかったことにしてしまった――。

 加計学園の獣医学部新設の一連の動きを俯瞰してみると、それは首相の意を忖度したという生易しい話ではない。ちなみに問題になった下村の支援組織「博友会」については、加計学園側が12年に20万円、13年と14年にそれぞれ100万円分ずつパーティ券を購入しているという(こうしたパーティ券購入の事実や今日子の顧問料の有無などについて加計・下村双方に質したが、回答は得られなかった)。

 政治主導という美名の下、強固な友だちサークルの絆が巨大な権力を握り、官僚を震えあがらせ、これまで築いてきた日本の行政システムを蹂躙している。(敬称略)