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2017年に、政府は働き方改革実行計画を策定しました。その中では、「長時間労働の是正」を初めとして数か条の検討事項を挙げています。みなさんは、自分の働き方が「改革」される必要があると思いますか?
特に、医師は働き過ぎていると言われています。なぜ働き過ぎるのでしょうか? 一方で、なぜ働かせ過ぎるのでしょうか? そして、なぜ働き過ぎは良くないのでしょうか? そもそも私たちはなぜ働くのでしょうか? それでは、どう働かせるのが良いでしょうか? 最終的に、私たちはどう働くのが良いのでしょうか? そして、どう生きるのが良いのでしょうか?
これらの疑問を解き明かすために、今回は、2017年の映画「ちょっと今から仕事やめてくる」を取り上げます。この映画を通して、働くことを生理学的に、社会学的に、そして進化心理学的に掘り下げ、産業精神保健の理解を深めましょう。

ブラック企業とは?

主人公の青山は、入社して半年、営業部に勤務しています。達成不可能なノルマを課され、3か月連続で残業は150時間を超えています。しかし、残業代は出ていません。毎朝、勤務開始時間には、「有休なんていらない」などとの社訓の音読を社員全員でさせられます。急ぎの命令でタクシーを利用したのに、経費は支払われません。ミスによる減損分は給料から差し引かれます。彼の上司は、彼を「このタコ!」「おまえはクズだ」と人前で怒鳴り付け、ミスが起きると、書類ではたき、足蹴りし、鞄で叩きます。それでも気持ちが治まらない時は、「ここにいる全員に謝れ」と命令して、土下座を延々とさせて、見せしめます。
このように、過剰なノルマ、長時間の時間外労働、時間外労働分の不払い、必要経費の不払い、損失分の給料からの差し引き、パワーハラスメントなど違法な労働条件が常態化している場合は、ブラック企業と呼ばれます。
ちなみに、研修医や医師にとって長時間労働が常態化しているという点では、医療機関もブラック企業になりえます。

仕事のストレスとは?-グラフ1

青山は、過剰なノルマにより、仕事量はとても多いです(仕事の要求度)。顧客の都合や気分に合わせなければならない営業という職種柄や上司の理不尽な命令や急な呼び出しにより、裁量権や技量の活用はとても少ないです(仕事のコントロール)。さらに同僚とは競争関係にあり、仕事の横取りや足の引っ張り合いが起きています。上司や同僚のサポートはとても少ないと言えます(職場の社会的支援)。そんな極限状況の中、青山はメンタル不調に陥ります。
このように、仕事の要求度、仕事のコントロール、職場の社会的支援という3つの軸による3次元モデルによって、仕事のストレス要因とうつ病との関連が指摘されています(要求度-コントロール-社会的支援モデル)。この3つのポイントは、2015年から義務化されているストレスチェックにも反映されています。今回は、グラフ1のように分かりやすく2次元でご紹介します。
ちなみに、医師は、専門職として裁量権や技量があり、仕事のコントロールは良い方に思われます。しかし、実際には、治療マニュアルに従っている点、急患や急変に即座に対応しなければならない点、詳しい説明などの医療サービスが患者からますます求められている点、医療ミスへの訴訟リスクがある点で、長時間労働と相まって、仕事のストレスはかなり高いと言えるでしょう。

うつ病の予兆は?-表1

青山は、夜眠れなくなります(不眠)。実家には1年半以上帰っておらず、電話口で心配する母親にきつく当たります(精神運動焦燥)。
このように、職場のストレスによって、行動面、体調面、メンタル面で何かしらいつもの自分にはない症状が出てきた場合、それはうつ病の予兆と言えます。どの症状が出やすいかは、人によって違い、表1のようにあらゆる症状が出てきます。

うつ病の診断基準は?-表2

青山は、休日はぐったりして、恋人や友人と遊びに行く元気もありません(興味・喜びの減退)。彼は、ある日の仕事の帰り道、「人は何のために働くんだろう?」「もし生きるために働くんだとしたら、おれは生きているって言えるんだろうか?」(抑うつ気分)、「体が鉛のように重い。休みたい。眠りたい。もう疲れた」(疲労感)、「明日なんて来なくていい」と思います(希死念慮)。そして、駅のホームからやって来る電車にふらっと飛び込むのです(自殺企図)。
青山は、ついにうつ病を発症したのでした。うつ病は、表2のように、濃いグレーの欄が1つ以上、濃いグレーと薄いグレー両方で5つ以上の項目が同じ2週間の間で当てはまっていれば診断されます。この表は、もともと精神科医師が使用するうつ病の診断基準(DSM-5)を、一般の医療関係者にも分かりやすいように簡便な表記にしています。診断の注意点は、希死念慮以外の症状が2週間の間で持続一貫していることです。逆に、時間や場所などの状況によって症状が改善していたり、そもそも基準の項目を満たしていない場合は、適応障害と診断されます。ただし、適応障害とうつ病は厳密に区別が付けられないことも多々あります。その理由は、症状の根拠が本人からの問診に大きく頼っていて客観性が乏しいこと、症状の程度が数値化されないので診断する医師の経験や裁量などの主観が入り込んでしまうこと、症状が時間経過によって変化することもあり固定していないことなどがあげられます。よって、初回の診断では、適応障害とうつ病を合わせて、「うつ状態」とする場合もあります。

なぜ急に自殺するの?

ちなみに、青山がメンタル不調になり、自殺をするまで病状が悪化するスピードはかなり早いです。なぜ病状の悪化は、徐々にではなく急速になのでしょうか?
言い換えれば、なぜ急に自殺するのでしょうか? その答えは、もともと私たちの脳は、ある程度のストレスへの抵抗力(脆弱性)によって恒常性を維持していますが、そのしわ寄せとしてある程度以上のストレスがたまるとその恒常性が破綻してしまい、一気に症状が出てしまうからです(ストレス脆弱性モデル)。例えるなら、骨折です。骨は、ある程度までの力には耐えられますが、ある程度以上の力で折れてしまいます。うつ病は、「心の風邪」と例えられますが、むしろ「心の骨折」です。ある時、急に心が折れてしまうということです。そして、治るのにも時間がかかるということです。

過労自殺とは?

青山は、過労(長時間労働)を主とする職場のストレスによって自殺をしようとしました。このような自殺は、過労自殺と社会的に定義されています。現在、労働災害における労働と過労死・過労自殺の因果関係を認める過労死ラインは、時間外労働が半年間で月80時間以上、1か月で100時間以上です。この根拠の1つとして、時間外労働が増えれば、連動して必然的に睡眠時間が減ることです。そして、睡眠不足とメンタル不調には密接な関係があることです。NHKの「国民生活時間調査」によると、時間外労働が月80時間(1日4時間)に増えると睡眠時間が6時間に減り、月100時間(1日5時間)に増えると睡眠時間が5時間に減るということが分かっています。
ちなみに、2017年に報道されたある研修医の過労自殺の場合は、1か月に160時間を超えていました。

なぜ働き過ぎるの?-過労の心理-表3

自殺しかけた青山を間一髪で助けたのは、幼なじみのヤマモトと名乗る男でした。青山は、その男を覚えていなかったのですが、ヤマモトの強引なペースに乗せられて、その後も一緒に時間を過ごすようになります。そして、青山は、冷静になり、自身の過労を自覚するようになります。そもそも彼はなぜ働き過ぎるのでしょうか? 言い換えれば、なぜ青山は過労自殺を避けられなかったのでしょうか?
本来、人間を含む動物は、働いて(動いて)、疲れが出てきたら休みます。疲れとは、痛みや発熱と同じく、生物が生命を守るために体の状態や働きを一定にする保とうとするために進化した生体アラームの1つです(ホメオスタシス)。ところが、人間は、疲れても働き続けること(動き続けること)ができるようになりました。この人間特有の過労の心理を、主に3つ挙げてみましょう。

(1)恐怖感

青山は、上司に怒鳴られるのが怖くて、必死になって無理して残業をしています。そんな青山にヤマモトは「仕事辞めることと死ぬことはどっちの方が簡単なん?」「仕事、変えた方がえんちゃうか?」とアドバイスしますが、青山は「とにかく仕事辞めるのってそんな簡単なことじゃないんだって」と言い張ります。青山は、職場以外の人間関係がなく、視野が狭くなっており、「迷惑をかける」「居場所がなくなる」と怯えていました。
1つ目は、恐怖感による過労です。他の動物と違って、人間は、パワーハラスメント(権力)や居場所(社会)を生み出す文明を進歩させました。このパワーハラスメントや孤立への恐怖に延々とさらされることによって、脳内ではノルアドレナリンが分泌され、恐怖感が得られます。そして、自律神経の交感神経が刺激されて、疲れを奮い立たせて、働き続けることが可能になりました。
ただし、恐怖心は、被害的そして罪業的な感情を高めます。「嫌なら(怖いなら)辞めれば良い」と言う人がいますが、実際はそういうふうに割り切れないほどに理性が麻痺してしまうのです。

(2)達成感

青山は、上司から無理難題の業務を押し付けられた後に、「がんばれよ」と肩を叩かれて、目を輝かせています。そして、残業に励むのです。
2つ目は、達成感による過労です。他の動物と違って、人間は、励ましや期待、感謝などの社会的報酬を交換する社会脳を進化させました。これらの報酬を定期的に受け取ることによって、脳内ではドパミンが分泌され、達成感や満足感が得られます。そして、疲れを感じにくくなり、働き続けることが可能になりました。
「疲れが吹っ飛んだ」という表現がこれを端的に表しています。疲れが起こるのは自律神経の中枢(視床下部と前帯状回)であるのに対して、疲れを感じるのは前頭葉(眼窩前頭野)であり、一体ではないです。疲れは、「吹っ飛んだ」のではなく、一時的に感じにくくなっているだけで、蓄積し続けていきます。
ちなみに、特に医師は、患者を救うというやりがいや感謝されるという喜びによって、この達成感による過労の心理が高まっていく危うさがあります。

(3)快感

青山の上司は、部下たちを怒鳴り散らしながら、ばりばり仕事をしています。どうやら仕事好きのようです。部下たちに過剰なノルマを課すのは正しいと信じています。
3つ目は、快感による過労です。人間を含む動物は、天敵による手負いの極限状況で、その状況を切り抜けて生き残るために、一時的にその痛みや疲れを緩和させる防御反応を進化させました。過労もその極限状況の1つです。過労による苦痛を感じ続けることによって、脳内ではエンドルフィンやカンナビノイドなどのいわゆる「脳内麻薬」が分泌され、快感が得られます。そして、極限状態の疲れは緩和されるばかりか逆に快感になり、働き続けることが可能になりました。
「疲れが心地良い」という表現がこれを端的に表しています。厳密には、これは、「心地良い」のではなく、心地良く感じることで最後の力を振り絞らせようとしている危うい精神状態であるということです。同じ現象は、私たちの様々な精神活動にもみられます。例えば、長距離ランナーが限界を超えた時に感じる「ランナーズハイ」、ダイエット中の人や摂食障害の人が飢餓状態で感じる「ダイエットハイ」「拒食ハイ」、境界性パーソナリティ障害の患者がリストカットした後に空虚感(心の痛み)が一時的になくなることなどです。
ちなみに、快感による過労は、「ワーカホリック」「仕事中毒」とも呼ばれています。「ワーカホリック」は「アルコホリック(アルコール依存症)」が語源です。快感を得るために、その摂取や行為をするという点では、アルコール、ドラッグ、ギャンブルなどの依存症や摂食障害と同じメカニズムであると言えます。さらに、もっと言えば、労働から、スポーツ、勉強、ゲーム、セックスまで、私たちのあらゆる精神活動は、コントロールができなくなれば、依存症になりうると言えます。なお、現在、「ワーカホリック」は、DSM-5に掲載されていませんが、日本で過労自殺が続くなら、今後の改訂版で正式に依存症の一種として掲載されるかもしれません。

なぜ働かせ過ぎるの?-過労をさせる心理

ここまで働く側の心理を主に3つ考えてきました。ここからは働かせる側の心理も考えてみましょう。なぜ働かせ過ぎるのでしょうか? その過労をさせる心理を主に3つ挙げてみましょう。

(1)がんばることは良いことだから

青山の上司は、最多契約賞として一番優秀な部下を全員の前で表彰し、金一封を手渡します。そして、次のノルマをつり上げます(ストレッチゴール)。
1つ目は、がんばることは良いことだからです。これは、江戸時代の封建社会から洗練されてきた日本独特の文化で、「気合い」「精神力」にも通じます。自分ががんばって我慢して世間(集団)の役に立つことを良しとする集団主義の文化です。よって、「長く働く人は偉い」、逆に言えば「残業をやらない人はやる気がない」という雰囲気になりやすいです。また、顧客の都合で突発的に「呼ばれたらすっ飛んで行く」という対応の方が、好ましく思われ、顧客満足度は高いでしょう。
こうして、働かせる側は、残業や突発的な仕事があることを前提にして仕事のスケジュールを組み、働かせ過ぎることができます。そして、残業を無制限にさせられるように、従来からの日本の企業は、労働法の例外事項を拡大解釈しています(サブロク協定)。
ちなみに、医師は、「病気という顧客の都合」により、「呼ばれたらすっ飛んで行く」ことが義務付けられている点で(医師の応召義務)、やはり働かせられ過ぎます。

(2)首切りが難しく新しい人を雇いにくいから

退職を申し出る青山に対して、上司は、「懲戒解雇しかねえからな!」などと脅しています。本当でしょうか?
2つ目は、首切りが難しく新しい人を雇いにくいからです。日本の労働法は、労働者に保護的であり、使用者が解雇するハードルが極めて高いです。これは、「簡単に見捨てない」という集団主義の文化が根付いているとも言えます。だからこそ、繁忙期だからと言って人を増やさずに、残業を増やします。そして、閑散期に残業を減らします。一方、欧米は、繁忙期に人を増やし、閑散期に人を減らしています。言い換えれば、欧米では首切りがしやすいということです。
こうして、働かせる側は、残業を繁閑の調整弁にすることで、働かせ過ぎることができます。裏を返せば、欧米に比べて、日本の残業制度は、労働者の雇用を安定させるという役割があります。
ちなみに、医師は、医師不足によって新しく雇いにくいという点で、やはり働かせられ過ぎます。

(3)仕事の範囲を広げられるから

青山の部署は営業部ですが、他の部署への異動も可能です。
3つ目は、仕事の範囲を広げられるからです。日本の労働文化は、働かせる側の命令の権限が大きく、仕事の範囲がどこまでも広がってしまうということです。例えば、仕事の内容や求められるスキルが違っていても、部署異動があります。能力の高い人や断らない人はより多くの仕事を任せられます。仕事が終わらない同僚や部署を手伝わせることもあります。これは、「会社も家族同様」という集団主義の文化の名残とも言えます。言うなれば、日本は「人に仕事をつける」ということです(メンバーシップ型)。一方、欧米は「仕事に人をつける」、つまり、仕事の範囲が最初から詳細な労働契約で決まっていて広げられないということです(ジョブ型)。このように、仕事の範囲に融通を効かせる点でも、首切りは、日本ではしにくく、欧米ではしやすいと言えるでしょう。
こうして、働かせる側は、会社のメンバーの一員であることを口実に仕事の範囲を広げていき、働かせ過ぎることができます。だからこそ、企業の人事が採用する新人に一番求めるのは、もともとのスキルや経験よりも、「コミュニケーション能力」です。言い換えれば、求めているのは、無理な残業でも断らない「企業戦士」ということです。
さらに、これを悪用しているのが、昨今話題になる新手のブラック企業です。急成長する会社の知名度を利用して、新人を大量に雇用して、従順で能力のある人だけを選別します。そして、残りの人を巧妙なパワーハラスメントによって自主退職に追い込みます。いわば実質的な大量解雇です。
ちなみに、日本の医師は、欧米と違い、専門外の診療行為に制限が少ないため、診る患者の範囲を広げられる点で、働かせられ過ぎます。

なぜ働き過ぎは良くないの?-過労のマイナス面

青山は、ヤマモトに「ちょっと今から仕事やめてくる」と宣言して、怖い上司に自分のまっすぐな気持ちをひるまずに伝えます。そして「できれば部長も少し休んでください」と言う言葉を残して、職場を後にします。その帰り道、鞄をぶんぶん振り回してスキップしながら戻ってきます。彼の開放感が、軽やかに描かれています。彼は、働き過ぎないことを選んだのでした。一方、青山の上司なら「好きで働いてなぜ悪い」と言うでしょう。それも1つの価値観です。ただし、それを周りに強要する時代ではなくなってきているということです。
なぜ働き過ぎは良くないのでしょうか? その過労のマイナス面を主に3つに挙げてみましょう。

(1)メンタルヘルスの危うさ

1つ目は、メンタルヘルスが危うくなることです。青山が過労自殺をしそうになったように、これは、過労死とともに最低限守るべき労働安全衛生であることは明らかです。これが、現在の情報化社会によって、うやむやにはできない状況になっています。

(2)ワークライフバランスの危うさ

2つ目は、ワークライフバランスが危うくなることです。時代の変化によって、仕事(ワーク)よりもプライベート(ライフ)に重きを置くバランスが求められているからです。例えば、男女共働きで家事育児の分担、少子高齢化で介護の負担、趣味や資格取得のための個人の時間などです。

(3)雇用の活性化の危うさ

3つ目は、雇用の活性化が危うくなることです。価値観の変化により、より多くの女性や高齢者も労働に参加することが望まれています。労働者市場は一定であると考えれば、従来の労働者が働き過ぎないことで、その不足分を新規に女性や高齢者が補う形で参入できるようになるはずです。

なぜ働くの?-労働の心理

ある日、青山がヤマモトについて調べると、何と3年前に自殺していたことが分かります。そのヤマモトに、青山は「人生は誰のためにあると思う?」と尋ねられます。「自分のため」「他にあるのか?」と答える青山に、ヤマモトは「おまえを大切に思っている人のためや」「おまえが死んで何もかんも終わりにできると思ってるかもしれんけど、そんなんたまらんわ。残された方はほんまにたまらんわ」と語ります。ヤマモトは一体何者なのでしょうか? その答えは、この映画を見て納得していただきたいと思います。
そもそも私たちはなぜ働くのでしょうか? 確かに、自分のため、生活のため、生きるためです。もっと分かりやすく言えば、お金のためです。それにしても、果たしてそうでしょうか? その答えを進化心理学的に掘り下げてみましょう。
原始の時代、私たちヒトは、体と同じく心(脳)も進化させました。それが先ほどにもご紹介した社会脳です。社会脳とは、家族を中心にして村(生活共同体)の中でうまくやって行くための能力です。そのシンボルとして、当時、頼られている者が周りの者から貝の首飾りの贈り物をもらいました。感謝の印です。つまり、貝の首飾りが多ければ多いほど、みんなとうまくやっているという信頼の証が得られたのでした。これが、お金(貨幣)の起源と言われています。つまり、本来のお金とは、信頼の象徴だったのです。しかし、現在、お金は富の象徴にすり替わって、一人歩きしています。
よって、「なぜ働くの?」という労働の心理への究極的な答えは、「お金のため」「自分のため」を超えて、家族のためであり、自分と信頼関係を築きたい人のためであると言えます。これは、ヤマモトの答えにもつながります。

どう働かせる?-表4

これまで、過労の心理、過労をさせる心理、過労のマイナス面、そしてそもそもの労働の心理を詳しく見てきました。これらを踏まえて、今後、青山の会社や上司などの働かせる側はどうすれば良いでしょうか?  その対策を主に3つ挙げてみましょう。

(1)ルールに基づいて働かせる

1つ目は、ルールに基づいて働かせることです。ドイツやフランスでは、時間外労働に対してペナルティを課しています。日本も、ようやく働き方改革で、罰則付きで労働時間に制限を設ける方針を打ち出しています。こうして、仕事の要求度を減らし、職場のストレスを減らすことができます。
ただし、医師は、医師法に基づく応召義務などの特殊性を理由に、現時点で適用除外対象になっており、今後も議論の余地があるでしょう。

(2)風通し良く働かせる

2つ目は、風通し良く働かせるです。まず組織のトップが、「過労は良くない」というメッセージを自ら発信し続けることです。そして、お互いに積極的に意見が言い合える関係作りをすることです(フラット型のコミュニケーション)。まさに、青山の上司とは真逆です。トップの発言や態度が、集団の規範となり、コミュニケーションのスタイルとなり、組織文化となります。「周りが仕事をしているのに帰りづらい」という横並びの負の同調圧力を減らすことができます。そして、時短勤務や在宅勤務などの多様な働き方をより受け入れることができます。こうして、仕事のコントロール感を増やし、職場のストレスを減らすことができます。

(3)見極めて働かせる

3つ目は、見極めて働かせることです。これは、労働量と労働時間の関係の「見える化」です。確かに、マニュアル通りではない仕事(非定型業務)は、状況や個人によって差があり、労働量と労働時間の相関関係を決めづらい面はあります。そうだとしても、この仕事に対してこのくらいの能力の人にはこのくらいの時間がかかるという労働力や労働時間の適正な相場をあえて見極め、示すことです。
そうしないとどうなるでしょうか? 働かせる側は「時短だ」「定時に帰れ」と言って表向きには労働時間を減らしておきながら、納期やノルマなどの労働量はそのままにして、時間内に仕事が終わらないのは「能力がない」という理屈を押し付けることができます。すると、働く側は、「能力がない」と思われたくないために、タイムカード通りに帰宅せずに職場に居残る「サービス残業」をしたり、職場近くのカフェに移動して仕事を続ける「持ち出し残業」をしたり、自宅に持ち帰る「持ち帰り残業」をしたりするなど、隠れて残業をさせられるはめになります。これは、「時短ハラスメント」とも呼ばれています。「プレミアムフライデー」が広がらない理由はここにあります。
また、仕事のやり方と時間配分を本人の裁量に任せる労働(裁量労働制)も危ういです。なぜなら、そもそも最初から過剰な労働量が設定されてしまえば、労働時間が不透明なだけに、より働かせ過ぎることができるからです。これは、逆に、労働の「見えない化」です。
この「見える化」をあえてしない組織は、つまり働き方改革を逆手に取って悪用することで、残業代を支払わなくて良くなりコストカットしたことになるので、短期的には業績(生産性)を上げるでしょう。しかし、現代の高度な情報化社会の中で、これが明るみになるのに時間はそれほどかからないでしょう。つまり、長期的にはその組織は社会的信用を失い、人が集まらなくなり、業績は下がっていくでしょう。先ほどの原始の時代の社会脳の進化でも触れましたが、信用される、信頼されることこそが働くことの原点です。それは組織においても同じだからです。
働かせる側は、「見える化」によって働く側の様子を理解していることが重要です。こうして、職場の社会的支援を増やし、職場のストレスを減らすことができます。

どう働く?-表4

それでは、働く側はどう働ければ良いでしょうか? ヤマモトの心がけを主に3つ挙げてみましょう。

(1)余裕を持って働く

給料や正社員であることに固執して自分を追い詰めている青山とは対照的に、ヤマモトは、「ニートやで」「いちおうアルバイト的なことはしてるで」「就職なんかせんでも、意外と生きていけるからな」と軽く言います。
1つ目は、余裕を持って働くことです。時間や体力の余裕は、心の余裕を保ちます。その余裕の中で、どれくらい働いて、どれくらい余暇や家族との時間を過ごして、そしてどれくらい稼ぐのか、つまりどんな生き方(ライフスタイル)をしたいのかということに向き合うことです。そして、そのバランスを取るために、仕事を休む、辞めるという選択肢は常にあると考えることです。これは、働く側の「見える化」とも言えます。逆に言えば、余裕がない中、やみくもに働く時代ではなくなっています。こうして、仕事の要求度を減らし、職場のストレスを減らすことができます。

(2)積極性を持って働く

叱られまいと萎縮して受け身になって働く青山とは対照的に、ヤマモトは、明るいネクタイを勧め、笑顔でゆっくり話すこと、営業相手に寄り添い、懐に入ることを説きます。
2つ目は、積極性です。これは、自分から積極的に先回りして動くことです。こうして、仕事のコントロール感を増やし、職場のストレスを減らすことができます。

(3)やりがいを持って働く

ヤマモトは、青山を過労自殺から救い、彼の人生を大きく変えました。そして、青山に心の底から感謝されます。ヤマモトはお金では計り知れない大きな仕事をしたとも言えます。実は、ヤマモトは、すでにある場所でやりがいを見いだし、生き生きと働いていました。
3つ目は、やりがいを持って働くことです。先ほどの原始の時代の社会脳の進化でも触れましたが、感謝されるやりがいこそが働くことの原点です。そして、仕事にやりがいを見いだすことで、信頼関係が生まれ、自分の居場所が見いだせます。こうして、職場の社会的支援を増やし、職場のストレスを減らすことができます。

どう生きる?

ラストシーンで、ヤマモトの居場所が、なんとバヌアツという外国の小学校であることが判明します。そこを尋ねた青山は、ヤマモトに「ここで、今度はおれがおまえを助けることができないかな?」と申し出ます。すると、ヤマモトは「最初はボランティアからやで」と微笑むのです。かつての狭く息苦しい青山の職場とは対照的に、抜けるような青空、海、そして子どもたちの絶えない笑顔があるバヌアツはまさに楽園です。青山は、ヤマモトのおかげで、働き方だけでなく、生き方も変えたのでした。
ボランティアとは、ラテン語の「ボランタス(自由意志)」を語源としています。まさに働くことの原点です。確かに、ボランティアだけでは、生きて行くことは難しいでしょう。組織も個人も、お金(収入)は大事です。働き方改革のマイナス面として、個人も組織も収入を減らしてしまうおそれがあります。政府の成長戦略に連動しないおそれもあるでしょう。これは、個人、組織、政府のそれぞれにとって、あまりはっきりさせたくない不都合な真実でしょう。
一方で、これからはAI(人工知能)の時代です。現在、機械化によって力仕事をする必要がなくなってしまったために、逆にお金を払ってスポーツジムで運動をする人がいます。同じように、近い将来には、AI化によって仕事自体をする必要がなくなってしまうために、逆に、お金を払って働く人が現れるかもしれません。これは、究極のボランティア精神と言えるでしょう。なぜなら、社会構造の変化(環境変化)に、私たちの心(脳)の進化が追いつくには、少なくとも何万年かは必要だからです。
働き方を変えて収入を減らしたとしても、働かなくても良いAIの時代になったとしても、やはり働くことは自由意志であり周りとの信頼関係を強めることであるという原点に立ち返れば、私たちは、どう働くかを超えて、どう生きるかという問いへの答えも見いだすことができるのではないでしょうか?