児童虐待

四物湯と桂枝加芍薬湯

多くの児童虐待事件を取材し、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新聞出版)などの著書があるルポライター・杉山春さんが、カナダで行われているDV加害者の更生プログラムを取材して見えてきたものとは──。
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 栗原心愛さん(10)が、千葉県野田市の自宅アパートの浴室で、父親の勇一郎容疑者に暴行を受けて亡くなった事件。昨年3月に東京都目黒区で亡くなった船戸結愛さん(5)の事件に重なる。

 どちらの父親も、妻の出身地で再婚し(野田市の場合は同じ妻との再婚)、妻子とともに新たな生活を始めた。間もなく家族を激しくコントロールし、DVが始まり、子どもに暴力を振るった。行政や司法、公的機関の対応が始まると、遠距離を移動。その結果、妻は地縁血縁から引き離された。孤立が深まる。家族の密室化が進む。父親の示す歪んだ価値観が絶対化し、妻は子どもを守ることができない。

 子どもが学校などの公的な機関から姿を消してから、亡くなるまでどちらも約1か月。この間、父親のコントロール=暴力は先鋭化していったのではないか。食事を与えられていなかったとの報道もある。ネグレクトも起きていたのだ。孤立した親はもはや、家の外に怒りをぶつける先も、相談するところも、逃げ出す場所もない。行き詰まったことへの怒りを子どもにぶつけることしかできない。それを一身に受けて子どもは亡くなった。

 どちらの父親も職場での評価はそれなりに高い。だが、彼らの行動を見ると、そのアイデンティティは、仕事にはなく、家族に委ねられているかのようだ。

 それでも、私には疑問が浮かぶ。この2人の父親はそれぞれ子どもを殺したかったのだろうか。

 過去にネグレクト死事件を取材して知ったのは、子どもを亡くしてしまうほど追い詰められる親たちは皆、社会に助けを求めて働きかける力を失っていたということだ。では、子どもに暴力を振るう親は、社会に助けを求める道筋をもっていたのだろうか。

家族に激しい暴力を振るう人がもつ背景
 家族に激しい暴力を振るうのは、一体どのような人たちなのだろうか。

 カナダ・アルバータ州グランドプレーリー市在住の高野嘉之さん(※「高」の表記は「はしごだか」)は、NPO団体ジョンハワードソサエティの職員で、臨床心理士、ケースマネージャーとしてDV加害者の更生プログラムに携わっている。お話を伺った。

「私たちのところには、裁判所命令で、DV加害者が更生プログラムに通ってきます。

 自身と相手との境界線を知り、相手の境界線を尊重することを学ぶアクティビティの一つに、2人1組になり、1人が目をつぶり、もう1人が隣の部屋の席までガイドをするというものがあります。目をつぶった人が、安心して席に着くことが目的です。その過程で、お互いにいろいろなことに気づく。

 相手の動きに反応して、イラっとした。その感情の動きに注目します。なぜ、自分は相手を引っ張りたいと思ったのか。相手が、自分の言うことを聞かないのは自分を見下しているのではないかと感じた、など、何が自分の怒りの引き金になったかを認識することが大事です」

 高野さんによれば、その怒りの「引き金」の下には、その人が純粋にもつ希求や切望感、「とても意味があると思っているもの」が隠されているという。

「価値観よりももっと人の根本を作っているもの。もっと揺るぎないものです。自分の心の奥底にある、こうでありたいという切望感。親の愛情が欲しいとか……。幸せな家族として暮らしたいとか……。反応的に暴力を振るう人は、その切望感が侵されたと感じる時、恥や恥辱(自分はダメな人間だ、とか、恥ずかしいとか、バカにされているという感情)を感じています

 人当たりがいいと思われてきた人が、何かをきっかけに、抱え込んできた恥の感情に触れた時、反応的に怒りが湧き起こる。あるいはそうした、恥ずかしさに向き合いたくないが故に、社会と距離をとる

「そうすることで、人との関係障害が引き起こされ、その結果、社会から孤立してしまう」と高野さんは言う。

「DV加害者へのセラピーで、最も重要なのが恥辱に直面してもらうことです。しかしまた、最も難しいことでもあります。加害者は自分がしたことを知らないのではないかと言われることもありますが、皆、自分が何をしたかは心の奥にしまってある。それを引っ張り出してこないと変化に結びつかないこうした恥や恥辱に真摯(しんし)に向き合うことが変化の第一歩です。セラピーでは、早い時期に恥辱の感情を引っ張り出してくることが重要です」

カナダで行われる児童虐待加害者の更生プログラム
 カナダ・アルーバータ州の制度では、DVが通告されるとすぐに強制逮捕され、裁判所から接近禁止命令が出る。児童虐待が通告されると、児相から子どもの緊急保護命令が出る。10日以内に裁判が開かれ、状況によって更生プログラムを受けるよう命じられる。プログラムはDV加害更生プログラム、虐待をしてしまう父親のプログラム、両親が一緒に受けるペアレンティングのプログラムなど種類が豊富だ。更生プログラムを終えないと、児相に保護された子どもを返してもらえない場合もある。ホームサポートワーカーが派遣されて、家の中に危険なものはないか、食事がきちんと与えられているかを確認することもあるという。

 その家庭にDVや虐待が起きていることがわかると、スピーディーに裁判まで進み、すぐに支援が入り、親たちは学ぶチャンスを与えられるのだ。「恥ずかしい自分」に向き合うには、早いほうがいい。

「何かしらの子どもへの虐待が見受けられた場合、私たちには報告義務があります。虐待を認知しながら報告義務を怠り、子どもがなんらかの障害を受けた場合、われわれは罪に問われます。しかしそれ以外は守秘義務が守られます。

 地域では、事例検討会議が月に一度開かれ、機関連携します。地域の施設の人たちも4か月に1回集まって、地域のサービスが適切に運営されているかを確認します」

 児童相談所の周辺に、多様な家族支援の仕組みが置かれているのだ。

 仮に、目黒区の事件でこの制度が適応されていれば、虐待が最初に通告された2016年8月には裁判を受けていたことになる。野田市の事件では父の妻へのDVや心愛さんへの恫喝(どうかつ)が糸満市に伝えられた2017年7月だ。どちらも子どもが亡くなる1年半前だ。

 怒りを抱えた、暴力的な親が放置されないということは重要だ。加害者の怒りは、社会から疎外されることで、先鋭化する。

 アルバータ州のDV加害者プログラムの場合、まず、高野さんのNPOによる4〜5週間の個人面接に参加する。その後、12人ほどのグループセラピーに参加。16週間がワンクールだ。女性のグループもある。

「加害者」という枠が作られると、当事者と社会に絶縁が起きる
 参加者たちは、このアクティビティで糾弾されるわけではない。

「暴力の結果、当事者の周りに『加害者』という枠が作られます。すると、当事者と社会との絶縁が起きます。本人も自分は加害者だからと友達関係から身を引く。社会から距離をとる。そこに人との関係の障害が生まれる。恥辱が、人と社会を引き離していきます。

 このプログラムでは、参加者を『DV加害者』とは呼びません。『DV加害者』というアイデンティティーだけを強調することになるからです。しかし、DV加害があったことは明確にします。参加者の呼び方は『暴力・虐待をする男性(女性)』です。こうすることで、『暴力・虐待』はその人の選択であると強調し、だからこそ暴力・虐待を選択しない生き方も可能だと伝えます

 参加者は、善悪ではジャッジメントされない。

恥ずかしさを生み出した体験や恥辱を引き出した感情が、どこからきているのかをゆっくりと語っていきます。

 加害者が恥辱に向き合うのは、ものすごく痛い体験です。加害者プログラムに参加する人たちの多くが、幸せな家庭をもちたいと願っています。子どもが生まれた日はうれしかった。希望をもった。しかし、素直にポジティブにそう切望しながら、自分自身の手でそれを壊してしまった、というつらい恥の体験をしています。その結果、大切に思う子どもから怖がられるという状況に陥る。そんな自分を許せないと感じる。自己嫌悪もある。さらにその結果、強い怒りの感情が起きるのです」

 高野さんがプログラムを行なっているグランドプレーリー市は石油産業の町だ。この町には、長時間休まずに身体を使って働くことが男らしいという価値観があるという。

「ここで育った加害男性は身体を張って働き、家族を養うことでセルフエスティーム(自尊感情)を支えている。頑張って仕事をして、家族にお金を与えることに誇りがある。それで満足して、自分の感情を正直に話すとか、自分の気持ちと向き合うということはしない。ところが子どもを叩いて、子どもから父親と会いたくないと言われてしまうと、誇りが傷つけられて、暴力が発動する。

 そのとき当事者は、大切なものが侵されているという体験をしています。その結果状況が、本人の切望感とは真逆の方向に進み、恥辱につながる感情が生まれます。それは、怖いとか、悲しいとかつらいという感情にもつながっています。しかし、その感情を言葉にすることは難しく、むしろアドレナリンを出して、怒りにしたほうが、発散しやすいのです」

暴力・虐待の「第一ページ」を開く
 そんな当事者に、高野さんは繰り返し、関係性の中で自分自身の切望感が侵されたときの気持ちを聞く。

すると、頭にきた、とか、ぶん殴ってやろうと思ったという気持ちの下に、怖かったとか、悲しかったとか、自分自身にひどくがっかりした、という感情があったことがわかってきます。

 安心できる環境でないと、加害者はそうした気持ちを語れません。何でも話してもらう環境を作ることがセラピストの腕です。

 怒りも含め、感情の動きはその人の大切な切望感につながっています。恥辱のもとを語るときには、感情が動き、身体に変化が現れ、呼吸が変わったりします。そこで身体が感じたことを言葉にしてもらう。それに対して、仲間たちからは『わかる、わかる、自分も同じだった』というようなフィードバックもあります」

 そうしたやりとりの中で、自分の父親も自分と同じように怒鳴ってばかりだったという話が出てくる。

「それは今まで、誰にも語られたことのないエピソードです。

 DV加害者も、生まれた時から暴力や虐待を習得していたわけではありません。暴力を振るったり虐待をするために生まれてきたわけでもありません。彼らの人生のどこかで暴力や虐待が侵入してきたのだと思います。その時のことについて語ってもらうことを、私は暴力・虐待の『第一ページ』を開くと言っています」

 そこで高野さんは、幼い自分が父親に怒鳴られたときには、どんな気持ちだったかと尋ねる。

「怖かったと言葉になると、それでは自分の子どもにはどうあってほしいかと尋ねます。怖がらないで、何でも話してほしいという言葉が出てきます。それでは、あなたがどうすれば子どもたちは怖がらないで話をしてくれるだろうかと尋ねます」

 幼い時の父親からの暴力の体験は、それまで語られてこなかったその人の「物語」だ。その物語を語ることで、自分自身が、そうではない親子関係を作るための責任を取ることができることに気がついてく。その結果、加害者のセルフエスティームは変化していく。

自分の加害を客観的に捉えることを促す
 実は、暴力と怒りは別のものだ。だが、自分自身の暴力に苦しむ人は、暴力を止めようとして、怒りまで抑圧する。すると、反応的な暴力が出る。

『怒り』そのものは普通の感情であり、善しあしはありません。しかし、それに伴う行動や表現の仕方には善しあしがあります

 暴力への衝動性は、タイムアウト(その場を離れる)や呼吸法で抑える方法を学ぶ。そんなふうに自分の状況を客観的に見ることを身につける。

 つまり、セラピストは本人に寄り添い、本人が切望する、例えば「優しい幸せな家族を作りたかった」という願いをかなえるのは、本人自身の責任であることを明確化していくのだ。自分の人生に対する責任、行動する責任、選択する責任を身につけてもらう。具体的には次のような4点が目標となる。

・加害行為に関してはしっかり認識する。
・自分がとった行動がどれくらいの影響があったのかを理解する。
・二度とそうしたことが起きないようにするにはどうしたらいいかを考える。
・被害を受けた人の癒し(ヒーリング)と回復(リペア)には責任があることを学ぶ。

 児相に保護された子どもから「会いたくない」と言われる場合もある。親には強い痛みがあるが、その痛みの感情もセラピストは聞き取る。その上で、どう自分の人生に責任を取って、その後も背筋を伸ばして生きていくかを一緒に考える。そのように自分の加害を客観的に捉えることを促し、16週のプログラムを終える。

「自分たちのNPOは州から予算が下りています。更生プログラムには、人件費はかかりますが、市民社会がそこにお金をかけることを認めています。こうした家族を放置しておくと、将来、さらに多くの被害が起こり、そのための介入にはさらに多くの尽力が必要になってしまうことがわかっているのだと思います。

 もし暴力・虐待が起こったのであれば必要な介入を適切に適時行わなければ、平和な家庭環境や社会環境は生まれないのではないかと思います」

 すべてのプログラムを終了できるのは約6割だそうだ。プログラムを終了した人の再犯率は低いという。だが、途中でドロップアウトした人たちの場合には、再犯率があがる。本人が必要だと感じれば、無料で何クールも繰り返し受けることができる。

 もっとも、これだけ手厚く加害者ケアや虐待ケアが行われても、うまくいかない例もある。「パーフェクトなシステムを作ることは難しい」と高野さんは言った。

共働きカップルで生まれる夫から妻への不安感
 カウンセリングに訪れるのは、司法命令を受け人だけでなく、妻に言われて来る人もいる。さらに、自分がすぐキレたり、怒鳴ったりすることに危機感を持って来る人もいる。

 時代の変化、産業構造の変化の中で、それまで自分を支えていたセルフエスティーム(自尊感情)が、通用しにくくなっている。

 カナダのある都市の共働きカップルで、夫が妻よりも自分の収入が低いことに不安を抱え、妻が仕事先で不倫をしているかもしれないと感じ、そんなところで働くなと言ってしまったという事例がある。そこにパワーとコントロールが生まれる。

 その場合も、なぜそんな不安感を抱えたのかを「第一ページ」を開くことで見つけ、バランスのいい家庭を作りたいという切望感に対して、本人がどのように責任を果たせるかを考えていく。

 目黒区と野田市で起きた2つの事件。職場ではそれなりの評価を受けていた2人の父親たちは、家族を徹底的にコントロールして、わが子を亡くした。仕事や社会的な役割では、彼らの切望感を支えることができなかったとはいえないだろうか。

 一体、この2人の父親どのような切望感を抱いていたのか。

 私たちは何にセルフエスティームを置くことができるのか、ということを新たに問われる時代が訪れているのではないだろうか。

<プロフィール>
杉山春(すぎやま・はる)◎1958年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。雑誌記者を経てフリーのルポライター。『ネグレクト 育児放棄―真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館文庫)で第11回小学館ノンフィクション大賞受賞。著書は他に『ルポ 虐待 大阪二児置き去り死事件』『家族幻想 「ひきこもり」から問う』(以上、ちくま新書)、『満州女塾』(新潮社)、『自死は、向き合える』(岩波ブックレット)、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新聞出版)など。