「定年力」といえるもの


そんな居酒屋に、たまに熟年のお客さんがひとりでひょっこり入ってくることがあります。見るからにもう定年を過ぎた年配の人です。表情がかたく、飲んでいてもなかなか店の雰囲気に溶け込めません。やがて、なにかの会話の流れのなかで声をかけられたことで、表情がやわらぎ、すこしずつ客と客の会話に入ってきます。たいてい店主や常連客からありきたりな質問が入り口になります。

お住まいはどちらですか?
失礼ですが、おいくつですか?
なにをなさっているのですか?

やがて、酔いも手伝ってか、回りの常連客とは違うのだとばかりに、かつて働いていた頃の仕事の自慢話、いかにステータスの高いゴルフ場に通っていたか、最近、いかに豪華な海外旅行したか、果てには定年後にはどれくらい資金力が必要かの演説まで始まります。自らの奥さんや家族の話題はほとんどありません。奥さんとかなり疎遠であることも話のなかでわかってきます。

会社のため、家族のため、また自尊心のために働きつづけ、気がつくと定年となり、その後に打ち込む趣味もなく、また居場所を失ってしまった人がいます。そんななかで、酔うと常連客がまるで部下のように見えるのか、毒気気づいて説教調になる人もいます。そんなお客さんが帰ると、みんな顔を見合わせ、ほっと一息つきます。

そんな人は「定年力」といえるものが欠落しているのです。