令和

安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判

 新元号発表の“政治パフォーマンス”が成功したとみたか、意気揚々の安倍首相。とりわけ「令和」の出典が『万葉集』だと強調し、「初めて国書を典拠とした」と触れ回っている姿は、この宰相の中身がどれほど阿呆かを満天下に知らしめている。発表当日の1日に生出演した『ニュースウオッチ9』(NHK)ではこう宣った。

「『令和』というのは、いままで中国の漢籍を典拠としたものと違ってですね、自然のひとつの情景が目に浮かびますね。厳しい寒さを越えて花を咲かせた梅の花の状況。それがいままでと違う。そして、その花がそれぞれ咲き誇っていくという印象を受けまして、私としては大変、新鮮で何か明るい時代につながるようなそういう印象を受けました」

「中国の漢籍を典拠としたものと違って情景が目に浮かぶ」って……コレ、ヘイトじみた“日本すごい”言説という批判以前に、めちゃくちゃ頭が悪い発言だろう。そもそも「令和」の二文字の並びだけ見れば情景もクソもないし、政府の説明によれば「令和」は『万葉集』の梅花の歌の序文を典拠としたというが、それだって中国由来の漢文調で書かれたものだ。

 しかも、すでに各専門家や多くのメディアも指摘しているように、「令和」にはより古い中国古典からの影響が見てとれる。たとえば岩波書店文庫編集部のTwitterアカウントは1日、その“大元ネタ”についてこう投稿していた。

〈新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』の補注に指摘されています。 「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五」)とある。」〉

 張衡(78〜139)は後漢の役人・学者だ。本サイトも確認したが、その張衡が残した「帰田賦」(きでんのふ)は6世紀の『文選』に収録されており、そこにはたしかに「於是仲春令月、時和気清」とある。万葉集の成立は8世紀とされるが、当時は漢文・漢詩の教養が当たり前であり、「帰田賦」を参考にしたのは確定的だろう。

 “新元号の大元”である「帰田賦」はこのあと「原隰鬱茂。百草滋榮。王雎鼓翼、倉庚哀鳴…」と続いてゆく。『新釈漢文大系』(81巻、「文選(賦篇)下」明治書院)がつけている通釈はこうだ。

〈さて、仲春の佳い時節ともなれば、気候は穏やか、大気は清々しい。野原や湿原に植物は生い茂り、多くの草が一面に花をつける。ミサゴは羽ばたき、コウライウグイスは悲しげに鳴く…〉

 なんのことはない。大元になっている漢籍そのものが、自然の情景を描いているのだ。それを「中国の漢籍を典拠としたものと違って情景が目に浮かぶ」などとのたまうとは……。漢文の教養なんてなにもないくせに、知ったかぶりをして恥をさらす。まったくこの総理大臣は救い難い。

安倍首相は自分への皮肉が込められた元号を知らずに自慢していた!
 いや、それだけではない。ネット上ではいま、「令和」の大元が張衡の「帰田賦」であることが確定的になったことから、「張衡の『帰田賦』は安帝の政治腐敗に嫌気がさして田舎に帰ろうとしている役人の心情を綴ったもの」「安の字を持つ帝の腐敗に役人が嫌気をさす、というのは安倍政権で起きている構図そのものじゃないか」といったツッコミを浴びせられている。ようするに、安倍首相は自分への皮肉が込められた元号を知らずに自慢しているというのだ。

 本当だとしたら、こんな間抜けな話はないので、本サイトも検証してみた。すると、細部では解釈が間違っているところがあるものの、「帰田賦」の作者である張衡が、権力の腐敗に嫌気がさして田舎に引っ込んだ役人であるのは事実だった。

『後漢書』の「張衡列伝」によれば、張衡は現在の河南省南部に生まれた。年少から文才に秀で、天文、陰陽、暦算などに通じた学者肌の役人となった(実際、科学者としても評価されている)。「才は世に高しと雖も、而れども矯尚の情無し。常に従容として淡静、俗人と交わり接することを好まず」との評に従えば、いつも落ち着きを払い、決しておごることのない人物だったらしい。

 だが、張衡の清廉な精神は腐敗した権力によって阻まれてしまう。当時は、宦官勢力が外戚勢力との権力闘争に勝利しており、張衡は皇帝に意見書を提出するなどしてその腐敗した宦官専横の体制を是正しようとした。だが、そうした抵抗は失敗に終わり、張衡は自らの立場を危くしてしまった。

 ただし、相手は、ネットで言われているような「安」の字を持つ安帝ではなさそうだ。『後漢書』によれば、張衡は安帝(6代皇帝)のときに都・洛陽に呼ばれて大史令という官僚知識人の地位をあたえられる。順帝(8代皇帝)の頃に再び大史令となる。前述の意見書を上奏した相手は順帝であり、「帰田賦」もその時代に書かれたものだ。

「令和」の大元の作者が「法を遵守する者が災難に遭う」と批判
 それはともかく、張衡は実権力者であった宦官勢力に睨らまれ、136年に首都・洛陽から河間(現在の河北省あたり)へ移り行政官を務めた。『後漢書』によれば、2年後に辞職願いを上書するも徴され、再び都の官職に就いたのち引退する。139年、62歳で没。その頃に書かれた隠居の書が「帰田賦」だ。張衡はこのなかでその心情をこう語っている。

〈まことに天道は微かで見定めがたいものである以上、いっそかの漁夫を追って隠棲し、彼の楽しみを見習おうと思う。塵の如き俗界を離れて遠く立ち去り、世間の雑事とは永久に別れることにしよう〉(『新釈漢文体系』通釈より、以下同)

 さらに、地方転出の前年にあたる135年に書いた「思玄賦」には、朝廷の腐敗やそれに媚びる役人を厳しく糾弾する記述がある。こちらも『文選』におさめられているので、紹介しよう。

〈世の風俗は次第に変化し、規範に順う正しい行為を消し去ってしまった。ヨモギを大切そうに宝箱にしまうくせに、蘭やヨロイグサは香りが良くないと言う。美女の西施を捨てて愛さず、駿馬に荷車を引かせたりする。邪な行為をするものが志を得て、法を遵守する者が災難に遭うご時世である。天地は無窮で永遠だが、それに比べて人の世は、何と無原則であることか。しかし私は、志を低くして、とりあえず認められようとは思わない。舟無くして黄河を渡ろうとするような状態だ。巧みな笑顔で媚びへつらうようなやり方は、私の願い下げとすることだ。〉

 安倍首相のために平気で法や文書をねじ曲げる官僚だけが出世する、いまの安倍政権の姿と重なる。そして、張衡はこの腐敗と忖度にまみれた朝廷で官吏として働くことの苦悩をこう書いている。

〈人々に邪悪な行為が多いのを見るにつけても、自分だけ法に従うことが、かえって身を危うくするのではないかと恐れるのだ。心中にこのような煩悶を重ね、我が心は乱れる。ああ誰に向かって、この思いを告げたらよいのか。〉

 これも、良心が残っている官僚たちがいまの安倍政権下で抱えている苦悩そのものだろう。

「令和」考案者・中西進氏は護憲運動にも関わっていた
 ようするに、「おれは国書を典拠とする元号をつけた初めての総理だ」と悦に入っている安倍首相だが、実際は、自らの政権とそっくりな不正と忖度官僚の跋扈を嘆いた中国の役人の言葉を元ネタとする元号をつけてしまっていたのである。

 そんなところから、この「令和」という元号名が実は「安倍首相への皮肉とを込めて提案されたものではないか」などという憶測までとびかっている。「令和」の考案者が護憲運動にも関わったことのある文学者・中西進氏であったと報じられていることもこの説の拡散に拍車をかけている。

 まあ、さすがにそれはありえないだろうが、しかし、今回の新元号制定で改めてはっきりしたことがある。それは、安倍首相が押し出すナショナリズムがいかに浅薄でインチキなシロモノであるか、ということだ。「令和」の大元ネタがどうという以前に、そもそも日本の古典文学は、基本的に中国や朝鮮の影響下でつくられているものであり、いくら「国書典拠」を強調したところで、日本固有の文化、中国排除などできるはずがないのである。それを、皇室の伝統を排して「国書典拠」などというのは、無教養とバカのきわみといっていい。

 しかし、そのバカ丸出しのインチキが何の問題にもならずに、正論として通用してしまうのが、いまの日本の状況なのである。

 新元号「令和」の大元ネタの作者・張衡の「思玄賦」にはこんな一節がある。

〈折り合わないことなどは、本当の憂いではない。真に悲しいのは、多くの偽りが、真実を覆い隠してしまうことである。〉
(小杉みすず)

■主な参考文献
『新釈漢文大系』81巻(明治書院)
『後漢書』列伝7(岩波書店)
鈴木宗義「張衡「帰田賦」小考」(「国学院中国学会報」2005年12月号所収)
富永一登「張衡の「思玄賦」について」(「大阪教育大学紀要」1986年8月号所収)