自宅の子供部屋に引きこもり、ファンタジーの世界に浸る。

世間は、厳しく、発達障害者が、自分で思ってるような能力の半分も、世間は認めてくれない。 
発達障害者は、自己評価は高いのに、世間の客観評価が低いので、発達障害者はプライドが保てない。

そもそも発達障害者は、根拠なく無駄にプライドが高い。 
発達障害者の高いプライドを満たす社会なんて、世界のどこにもない。 
だから、発達障害者は生き辛い。 
ちなみに、発達障害者に、己の欠点を親切に言って聞かせても、激しく反発されて、己の欠点を認めてはもらえない。 

話は永遠に平行線である。 
発達障害者は、「自分はスゴイ存在だ」と本気で信じている。 
でも、社会は、何者でもなく、平凡以下の働きしかせず、プライドだけ高い発達障害者を受入れない。
発達障害者は、プライドを傷つけられ、社会での居場所がない。 

でも、どこかにはいないと、生きて行けないので、自宅の子供部屋に引きこもり、ファンタジーの世界に浸る。 
ファンタジーの世界では、発達障害者は、無敵だ。有能だ。それを否定されることもない。 
発達障害者にとって、子供部屋に引きこもっているのが、一番快適だ。 

一歩、外に出ると、挨拶をしなければ、挨拶をしない人というだけで評価が下がってしまう。いちいち面倒くさい。 
誰にも会いたくない。 
親ですら、現実を突きつけられるようで、ウザイ。 
放っておいて欲しい。 
腹は空くので、部屋の前に飯を置いておいてくれたら、それでいい。 
誰とも会いたくないのだ。 

母親は、20代の頃、切れて暴れたら、以後、怖がって、我が子ながら腫れ物に触るように距離を置くようになった。従順に命令に従ってくれる。 

最近になって、8050とか言って、引きこもりを問題視するようになった。 

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「教育された自我は『理性的』になる。 
それはもはや快楽原則により支配されるままにはならず、 
現実原則に従うようになる。 
これもまた根底では快楽を求めるのであるが、 
その快楽は現実を計算に入れた上で確保されたものである。 
延期され減少した快楽であるかもしれないが」 

だいぶ前から、日本人は「快楽原則」でのみ 
生きようとする人たちが急増しました。 
しかし、それでは、現実社会に「適応」できません。 
「現実逃避」して「社会的引きこもり」になります。 

また「虐待」も、育児から「快楽」だけを要求すれば、 
子供が言うことを聞かないと「虐待」するでしょう。 

今どきの日本人は、 
年齢を重ねても「快楽原則」しか重視せず、 
「現実原則」を受け入れようとしません。 

日本社会では、もはや、 
「人格を向上させる」 
「立派な大人になる」 
といった発想が皆無になってしまっています