「オテル・ドゥ・ミクニ」

東京都議選の投開票日、7月2日の夜。安倍首相は東京・若葉の高級フランス料理店「オテル・ドゥ・ミクニ」にいた。

そのテーブルに同席したのは、麻生太郎副総理、菅義偉官房長官、そして、あっせん利得の疑惑で表舞台から遠ざかっていた甘利明前経済再生担当相である。

盟友たちの食事会が何を意味するのか。出席者の誰もが黙して語らない。だが、安倍政権の今後について共通の危機感を抱いていたのは間違いないだろう。

それぞれの心理に微妙なズレがあったかもしれない。麻生氏はポスト安倍をにらんで派閥の拡大をはかっている。菅官房長官は加計学園をめぐる文科省の内部文書を「怪文書」と切り捨てたために、前川喜平前文科省事務次官の反発を招き、安倍首相の苛立ちに拍車をかけた。

内閣支持率が急落し、迷いの中で生まれる編み目のほつれを修復するため、甘利氏あたりが音頭を取ったとも思える。だが、話し合いの中身はもっと深刻だった。

午後8時過ぎ、「小池支持勢力、過半数獲得」と予測がテレビに流れたころ、彼らは都議選についての質問攻勢を避けるように帰りの車に乗り込んだ。

この宴席で「首相への責任問題にはならないとの認識で一致した」と朝日新聞は報じた。最も責任が重いのは森友、加計学園問題に関与した疑いが濃い安倍首相である。だからこそ、安倍首相は「責任不問」の合意を党内実力者三人からとりつけたのだ。

自民党が自滅的大敗を喫したおかげで都民ファーストの会は予想をはるかに超える勝利に沸いた。国政の欺瞞と、失敗、失態、失言の数々が東京都の地方選挙を左右したのだ。

前日の秋葉原駅前。安倍首相はこの選挙戦での、最初で最後の街頭演説にのぞんでいた。

自民党にとっては「ホーム」といわれるほど支持者が集まる大切な場所である。いつもの声援を期待して安倍首相はやってきたはずだ。

ところがこの日はなにやら様子が違う。日の丸を手にした支持者たちと、プラカードを掲げる批判者たちが入り混じって、不穏な雰囲気に包まれている。

「安倍政治を許さない」「国民をなめるな」。横断幕やプラカードが揺れる。学者たちの姿も見える。

安倍首相は、今の政治課題とは無関係であるはずの民主党政権を引き合いに出して、自民党をアピールした。2012年に民主党から政権を奪還したとき、投開票前日に同じ場所で演説したことを思い出したのだろうか。

鳩山政権、菅政権の間に日米同盟の信頼が崩れた。外交安全保障を立て直すために私たちは国家安全保障戦略をつくり、安保法制を成立させました。これによって日米の絆は強くなった。

お得意のセリフである。だが、麻生内閣における東京地検特捜部が政権交代を阻止するため、当時の小沢一郎民主党代表に無理筋の捜査を仕掛けたことが、民主党内の分裂を呼び、政権が終わるまで尾を引いたことを忘れてはならない。

安倍首相は選挙への逆風をこう表現した。

連日の報道によって、「自民党何やってるんだ、しっかりしろ」と厳しいお言葉をいただいています。

「報道によって」。これが彼のいちばん強調したいところだ。

稲田朋美防衛大臣が「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と応援演説し、公職選挙法や自衛隊法などに違反したことさえも、それを伝えるメディアのせいにしたいらしい。

通常国会閉会後の記者会見で、安倍首相は「この国会では建設的議論という言葉からは大きくかけ離れた批判の応酬に終始してしまった」と語った。森友、加計疑惑、共謀罪法案などについて、政府が説明しようとせず、情報を隠ぺいし続けたからこそ、議論が進まなかったのではないのだろうか。

またこの会見では「信なくば立たずであります。何か指摘があればその都度、真摯に説明責任を果たしていく」と日頃の言動と真逆のことを述べたが、誰も信じてくれないだろう。

この不誠実きわまりない総理大臣に、直接思いをぶつけようという人々が、会場となった秋葉原駅前に集まるのは、ごく自然なことだ。

「安倍辞めろ」「安倍帰れ」コールがしだいに盛り上がっていく。安倍首相はこれに激しく反応した。

あのような演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしません。

ヤジを罵るいつもの国会答弁と同じだ。お友達には権力乱用で優遇するくせに、批判する人々には敵意をむき出しにする。こうした幼児性は政権中枢全体に広がっている。

安倍政権の特徴は、官邸を中心とする寡頭支配だ。

対立的意見を進言する人材を登用せず、忠臣ないしイエスマンで固め、国会の圧倒的多数を占める自民党議員を強権的な人事やカネの配分で従わせている。

実はこの少数支配体制にこそ、安倍政権の死角があることに、気づいていないのではないか。

昨今さかんに指摘される安倍チルドレン、二回生議員たちのレベルの低さはもちろんのこと。自民党にとってもっと深刻なのは、数を擁するだけで、中心の外側が空洞化していることだ。

陣笠ばかりが目につき、異論がオモテに出てこない。村上誠一郎氏が一人気を吐いていたが、これまでは多勢に無勢だった。

しかし、都議選の惨敗で、党内の他の議員からも批判の声が少しずつ上がってきた。たとえば、都議選の結果が出た後、後藤田正純議員は自らのフェイスブックにこう書いた。

自由民主党執行部はおかしくなってると感じたのは、私の安倍政権の反省についての街頭演説が、安倍批判をしたと、党幹部に伝わり私にクレームがきたこと。…このような密告、引き締め、礼賛、おかしな管理をしている、今の自民党執行部をみると、結果は仕方ないと思わざるをえません。

石破茂、岸田文雄、野田聖子といったポスト安倍をねらう実力者たちは、メディアの質問に答える形で安倍首相との考えの違いを語っているが、まだまだ遠慮がちである。

自由にモノが言えない党内の雰囲気に加え、官邸や党本部の記者クラブに詰める若手記者たちが安倍側近に睨まれるのを恐れ、あえて記事にしようとしないのも不幸の一因だ。

このような状況のなかでは、議員の意識は国家国民を離れ、自己本位となる。安倍首相や、菅官房長官らに気に入られることがなにより。そして金集めさえ、ぬかりなくやっておけば、怖いものはないという、国民の代表とはおよそ言いがたい「心の罠」に落ちてしまう。

いわゆる「二回生議員」の不祥事の数々や、小渕優子氏、甘利明氏ら「世襲議員」の金銭疑惑は、つまるところ同根ではないか。

下村氏や稲田防衛大臣の問題にしても、「アベ友」の甘えが生み出した例であろう。

稲田大臣の場合は、司法試験に合格して弁護士の資格があるというが、実際には法律を理解していないことを自ら暴露してしまった。

もし、安倍首相が稲田防衛相を例の発言直後に、今村雅弘前復興相と同様、ただちに罷免しておけば、都議選の結果は多少なりとも違っていたかもしれない。

下村氏については、全国各地の「博友会」という集金ネットワークがかねてから国会で問題になり、市民団体から政治資金規正法違反で告発され、東京地検特捜部に不起訴とされた経緯がある。

今回「加計学園から200万円の闇献金」と週刊文春に報じられたことで、その金銭スキャンダルが再熱した。

下村氏もまた、加計学園の獣医学部新設に深く関わっていた疑いが濃い。後援会である「博友会」が加計学園から2013、14年にそれぞれ100万円分ずつパーティー券代を受け取ったことを認めた。収支報告書に不記載だったことも確かだ。それでも文春の報道については「事実無根」と主張した。

200万円は、加計学園の秘書室長が11の個人、企業から集めて持参したが、加計学園が購入したパーティー券の代金ではないという。ならば、その11の個人、企業を明らかにせよと記者が迫っても、応じない。

文春の記事によると、2014年10月17日、内閣改造で文科大臣続投が決まった下村氏を祝うという名目のもと、加計孝太郎理事長が宴席を設け、愛媛県選出の衆議院議員、塩崎恭久氏、今治市を地盤とする参議院議員、山本順三氏を加えた四人が一堂に会している。「着実に獣医学部新設に向けたレールは敷かれていた」(同誌)という見方に間違いなさそうだ。

こうしてみると、加計学園の獣医学部新設は、安倍・下村コンビの「合作」ともいえる。

加計学園の獣医学部1校の新設で文句をつけられるのなら「地域に関係なく2校でも3校でもどんどん認めていく」と驕り高ぶる安倍首相の姿勢に、東京都議選で有権者が「ノー」を突きつけたのだ。

落選した都議たちの怨嗟の声を、下村氏が都連会長を辞任するだけでかわし、安倍首相をはじめ政権中枢の面々は敗戦に神妙な顔つきながらも、「しょせん地方選挙のこと」とばかりに責任逃れを決め込んでいる。稲田防衛相などは「厳粛に受け止めたい」以外の言葉を失ってしまったようである。

とはいえ自民党も、さすがにこれまでのように強気一辺倒というわけにはいかず、前川喜平・前文科省事務次官を参考人招致し野党の求める閉会中審査を行うことを決めた。

だが、日程をわざわざG20で安倍首相が外遊中の7月10日とし、逃げ切りをはかろうとする。やることが常に姑息である。

帰国後に安倍首相出席のうえで必要なだけ開会すべきであろう。真相不明なまま幕引きをさせてはならない。

側近やお友達におだてられ「裸の王様」になってしまった安倍首相。かつての自民党なら確実に「安倍おろし」の風が吹き始めているはずだ