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トランプ大統領はサイコパスなのか?
まだ誰もトランプが大統領になるなんて思っていなかった時期に来たるべき悪夢を見事に云い当てたマイケル・ムーアは、その予言の時点でトランプがソシオパスだと断言しています。
かつて、『トランプ自伝』のゴーストライターをするために長期間本人を取材したトニー・シュウォルツは、あのような事実に反する提灯本を執筆したことを後悔し、こんどまた彼の自伝を書くとしたらタイトルは『ソシオパス』にすると云ってます。
サイコパスとソシオパスは、先天性と後天性で分けたりもしますが、実際には遺伝と環境の組み合わせで人間の性質は決まるので、ほとんどのサイコパス専門家は両者を区別する意味はないとしています。つまり、誰よりもトランプをよく知るムーアやシュウォルツは、あれこそサイコパスだと主張しているわけです。
アメリカ精神医学会は、精神科医が直接診察していない政治家などについて医学的意見を述べることを禁じてます。先ごろ専門家35人が、あえてこの禁令を破り、トランプは精神的に問題があるので大統領職は務まらないと発表して話題になりました。
それを受けて、精神医学の規範である診断マニュアルの編集委員長も務めたアレン・フランシス博士は、安易な診断を下す人々を批判。トランプの自己愛は強烈で、常に賞賛を求め、共感がなく、搾取的で、傲慢だが、本人が精神的苦痛を感じていないので自己愛性パーソナリティ障害では断じてないと否定し、自分が書いたマニュアルをちゃんと読みなさいと仰ってます。
しかしながら、これではフランシス博士の意見のほうがよっぽど痛烈で、ほとんどトランプはサイコパスだと診断を下しているようなものです。精神的苦痛を感じていないことこそが問題なんですから。
なお、アメリカ精神医学会の倫理規定は、かつて左派の精神科医たちが右派の大統領候補者を勝手に診断して政治問題化したため定められたもので、実際に直接診察しないままに診断が可能かどうかという科学的問題はあまり関係ありません。
とくにトランプのように永年に渡ってテレビやツイッターで言動をあからさまに披露し続けた人物なら、病室で数日診察するより正確な診断が下せることもあるでしょう。
オックスフォード大学教授でサイコパス専門家のケヴィン・ダットン博士は、これまでの言動を分析して、トランプはサイコパス的傾向が最高度だと判定しています。同時にヒラリー・クリントンも、トランプより数段下回っているものの、女性としてはサイコパス的傾向がすこぶる高いと判定しているのですが。
直接診察するにせよ、サイコパスの診断は極めて難しいので、私のような医師免許もない者がトランプ大統領のことをサイコパスだなんて断言するつもりはありません。
しかし、サイコパスについて考察するといろいろと見えてくることもあります。それはトランプ個人に留まらない、現在の世界情勢全般に関わること。さらには、<道徳感情>にも関わることなのです。
評判を欲する<道徳感情>の怪物
サイコパスとは映画や小説に出てくるようなサイコキラーのことではないという、精神医学的に正しい理解が最近は広まってきています。
いや、なかにはそんな快楽殺人者もいるのですが、殺人を犯す者はごく少数で、暴力的犯罪はサイコパスの必須条件ではありません。犯罪に手を染めないサイコパスは、政治家や経営者として成功する者も多いのです。
直接的な暴力は必ずしも振るわないものの、彼らは冷酷で利己的で、他人を利用するための道具としか見ていません。正常な人間なら誰しもが持っている、共感能力がないのです。
その一方で、世間からの評判を異様なまでに追い求めようとします。他人を情け容赦なく踏み付けにする無慈悲さだけではなく、貪欲に賞賛を得ようとするその性質がプラスに働くため、企業経営者や政治家として成功するのです。
一部のサイコパスが、なんの利益にもならない快楽殺人を犯すのも、犯行声明を出して世間からの注目を浴びたいという理由がほとんどだったりします。
人々への共感能力がないのに、なにゆえ人々からの評判を欲するのか。ここに、猟奇殺人を犯したり残虐な独裁者になることよりも遥かに恐ろしいサイコパスの真実が隠されています。
前回の<道徳感情>とはそもそも何かという話を思い出していただきたいのですが、人類は進化の過程で言葉による<評判>を媒介とした協力関係システムを身に着けたのでした。
評判によって、巡り巡って見返りが返ってくることにより、自分の生存率を上げることができる。この<間接互恵性>というシステムを維持するために生じたのが<道徳感情>です。
そのために、人を罰したいという欲求が高まったわけですが、一方で、自分に関しては評判を高めたいという名誉欲もまた生じました。<道徳感情>によって、この両者がもたらされているのです。
ですから、道徳も感情も欠落しているはずのサイコパスが、評判を追い求めるというのはおかしなことのはずなのです。
恐怖心だけが欠落している?
じつはサイコパスも、すべての感情が無いというわけではありません。恐怖心だけが欠落していて、それ以外の感情は正常であることが多いのです。
彼らは恐怖心が無いので、危険に対する感覚が極めて鈍く、命が危なくなるような場面でも平気で突き進んでいったりします。そのため、なにをやっても自分が逮捕されたり、死刑になったりするだろうなんて一切考えません。サイコパスには、罰が抑止力として通用しないのです。
だからこそ、他人にはどこまでも冷酷で、一方的に利益を搾取しようとします。普通の人は、相手からの報復を恐れたり、社会からつまはじきにされることを恐れてそんなことはできませんが、彼らはリスクを考えられないのです。そうなると、得ようとするのは利益だけでは済まなくなります。
人間社会を成り立たせている<間接互恵性>は、良きことをした者には評判という報酬を、悪しきことをした者には罰を与えるという両面でシステムを維持しています。その一方の罰が通用しないとなると、ブレーキが外された状態で、評判だけを異様に欲しがるようになってしまうわけなのです。
サイコパス的経営者が一生掛っても使い切れない桁違いの報酬を得たがるのも、評判を数値化して実感したいという欲求なんでしょう。
生身の人間である限り、ひとりで食べられる御馳走の量は決まっておりますし、一生のうちに着れる服や住める家も限られていて、贅沢のためなら一定の額以上の金銭は必要ないはずなんですから。
しかし、評判には限度がなく、彼らは際限なく追い求めることになるのです。
なにせ、罰を恐れませんから、評判を得るためには手段を選びません。そのために社会を大混乱に巻き込んだりもするのです。
恐怖心を生み出す扁桃体という脳の部位に異常があるため、サイコパスは恐怖を感じられなくなっています。正常な人も、磁気刺激によって扁桃体へ流れる電気信号を減らすと、数十分間だけサイコパスと同じ状態になることが知られています。
恐怖心が無くなるので、罰を恐れず、自信満々になるのです。この自信がサイコパスの大きな特徴で、また悲劇の元でもあります。
嘘と自信に満ちている
サイコパスは平気で嘘をつきます。なんのためらいもないので、人々は簡単に騙されます。サイコパスの専門家さえ何度でも騙されるのです。
普通の人が嘘を云う場合、バレたらどうしようという心理的圧迫にさらされますから、どうしても表情や態度におかしなところが出てきます。サイコパスは恐怖心がないので、バレたら困るなんて微塵も考えませんから、まったくの平常心で嘘が云えるのです。
科学的な細かい話をしますと、危険を察知したときに扁桃体はアドレナリンなどのストレスホルモンを分泌させる指令を発し、血圧や心拍数を上げて筋肉を活性化させ敵と闘ったり逃げたりしやすくします。
また、顔面神経にも信号を送って恐怖の表情を作ります。そのために、心理的圧迫を受けると顔や全身の筋肉の動きに変化が生じるわけです。一方、サイコパスは扁桃体が正常に働かないので身体の変化が起きません。
彼らは恐怖心がないためリスクに対する感覚が極めて鈍いので、すぐにバレるようなことも気にせずどんどんしゃべります。だから、その場は騙せても、あとからおかしいなと気づかれて大体は失敗することになります。
しかし、とにかくサイコパスは恐怖心がないので不安を一切感じず、言葉も態度も自信に満ちあふれています。
普通の人は嘘を云うときだけではなく、大切な場面や大勢の人の前でしゃべったりするときは失敗したらどうしようと思って、多少はおどおどしたぎこちない態度になってしまいますが、サイコパスはつねに堂々としています。
その姿がカリスマ性を醸し出し、人々は簡単に惹きつけられてしまうのです。
ですから、云ってることに少々おかしなところがあっても、一度心を奪われた人は自分のほうが間違っているのではないかと勝手に考えて、騙されていることになかなか気づきません。ほんとうの破滅に巻き込まれてから、ようやく我に返るということになってしまうわけです。
「退屈」が暴走を引き起こす
ところで、人間は数百万年間の狩猟採集時代の性質が身に染みついていて、たかだか1万年も経っていない農耕や文明社会にはまだ適応できていません。
狩猟採集では危険を避けているだけなら獲物を捕ることができず飢え死にするんですから、恐怖を感じるぎりぎりのところまでは危険を冒すことが生存のための必須条件でした。これはよほど強力な本能で、いまだに人間の精神に根深く残っています。
そのため、現代人も恐怖が足りないと退屈し、わざわざホラー映画を観たり絶叫マシンに乗ったりするのです。報酬を得るため嫌々恐怖に耐えるのではなく、こっちから金を払って無意味に適度な恐怖を体験して喜んでいるようなわけなのです。
正常な人でもこんな具合なのに、サイコパスは元から恐怖心がありませんから、どんなときでも我慢できないほど退屈しています。
それで、自分のほうから危険に突っ込んでいくのです。サイコパスと云えども自分の利益にならないことはしないだろうなんて、常識的な考えで行動を予測していると大変なことになります。
ブレーキが壊れた状態でアクセルを踏む本能だけが暴走するサイコパスの、最大のアクセルは退屈なのです。これは極めて耐え難いもので、解消するためなら死をも恐れません。
サイコパスひとりで死んでくれるのならそれでいいのですが、ときに大勢の人々を巻き添えにすることになります。
こういうリスク感覚が根本的に欠落している人間は、早い段階で失敗を犯して大体は消え去るもんなんですが、千人や万人にひとりは確率的に偶然成功してしまい、政治家や経営者として力を持つようにもなります。
とくに親から莫大な財産や人脈を受け継いでいたりすると少々の失敗では致命傷にならず、また復活して時には国家の頂点に立ったりもするのです。
そういう輩が経済界や国家のトップに立ってもまだ退屈に堪え切れずにさらなる危険に突っ込んでいくと、社会全体を巻き込んで破滅させてしまうことにもなってしまいます。
サイコパスと普通の人の線引き
これがサイコパスだけの問題なら、少数しかいない彼らを封じ込めればそれで済むんですが、そうはいかないのがまた厄介なところです。扁桃体に磁気刺激を与えたりしないでも、正常な人間がまったく同じ病状を示すことがあるからです。
第一回で<システムの人>の話をしました。平等が破られ格差が広がると<道徳感情>が強く刺激され、幾何学的で美しい計画に取り憑かれて社会を大混乱に陥らせる者たちのことです。
彼らが危険なのは、無理のある計画だけではなく、偉大なる理想のために個々の人々を平気で踏みにじるようになるからなのです。つまり、他者への共感を失ってしまい、サイコパスと同じになってしまうのです。
元々は、多くの人々を救うための理想的な計画だったはずなのに、その偉大なる計画を遂行するために多くの人々を虐殺するようにさえなってしまう。
そもそも、共感とはなんなのでしょうか。
アダム・スミスは『道徳感情論』で、人間は他者の痛みに共感することはあまりなく、恐怖にこそ共感するのだと、なかなか穿ったことを述べています。スミスの時代は麻酔がなかったですから、外科手術は強烈な光景でした。そんなものを見ると自分の身体が切られてるような感覚に襲われたりしますが、慣れるとなんとも思わなくなるというんです。
ところが、恐怖心には必ず共感してしまう。痛みはその瞬間に実在するものですが、恐怖とは次の瞬間起るかもしれないことへの想像に過ぎません。その不確かさのためにますます不安を感じて共感してしまうとスミスさんは仰るのです。
サイコパスは共感能力がなく、華麗なる計画に囚われてサイコパス化した<システムの人>も他者への共感を失ってしまうという現象を踏まえると、共感とは恐怖心と密接な関係があると思われます。
理想に燃えた<システムの人>は恐怖心を克服してしまうために、偉大なる計画に反する者を残虐に弾圧し、テロも平気で行うようになるのです。
戦場でときに考えられないような残虐行為が発生するのも、戦争によって恐怖を克服した兵士が他者への共感を失ってしまうためではないでしょうか。
未来のリスクを回避するため備わった想像の産物である恐怖心、未来の自分という他者を想像する力が、想像ゆえに本物の他者の恐怖心と混線するという錯誤から生れたものが共感かもしれないのです。
実際の痛みを感じるような事態が起きる一瞬前に、我々は恐怖心によって危険を回避することができます。さらに他者の恐怖心まで取り入れることができれば、もう一歩早く危険から逃れることができ、生存率が格段に上がるでしょう。
ある程度の恐怖は自ら求めてしまう人間の性質を考えれば、この他者の恐怖への共感は生存にとって決定的な意味を持つはずです。自然淘汰の原理から見れば、生死に直結しないその他の感情の共感は、恐怖の共感から派生した副産物に過ぎないと思えます。
恐怖心と共感がないサイコパスの特徴から考えても、そういう結論になるのです。
そうして、現代の科学でも共感と扁桃体にはなんらかの関連性があるとされています。脳科学も神経科学も進化生物学も、その片鱗さえなかった250年前に、ただ精緻な人間観察だけでここまで見抜いていたアダム・スミスという人物はただ者ではありません。
また、壇上の話し手の緊張感が聴衆にそのまま伝染することが、ストレスホルモンの分泌測定実験によって確かめられています。逆に、自信満々で堂々と話すと、聴衆は不快な不安感を感じずに気持ちよくリラックスして聴くことができるのです。
多くの人々が、話の内容にはあまり関係なく、恐怖心を持たないサイコパスを好ましく思って惹きつけられてしまうことにも、扁桃体の働きと共感が作用しているのでした。
緊張も不安も恐怖も、危険に備えるために存在する同一の身体的な反応です。それらの感覚に敏感で共感能力の高い、つまり<道徳感情>を強く備えた人ほど、恐怖心がないため罰を恐れず非道なことを平気でやるサイコパスを支持することになってしまうわけなのです。
なお、サイコパスと普通の人は明確な線引きがあるわけではなく、度合いが高いか低いかの程度の問題です。
傾向の高い人間がサイコパスと呼ばれますが、全員が完全に恐怖心がないわけでもなく、多少の危険は気にしないけど命に関わるほどだと避けようとする者もいます。
逆に普通の人でもサイコパス的要素は必ず持っていて、条件によっては強化されることになるのです。
その最大の要因が平等が崩れて<道徳感情>が強く発動されることで、サイコパスの大量発生を防ぐという意味からも、格差の拡大は絶対に避けねばならないのです。
サイコパスが戦争を回避する?
さて、ここでまたトランプ大統領の話に戻ります。
トランプ政権を支えるオルタナ右翼の黒幕であるスティーブ・バノンは、元々ゴールドマン・サックス勤務だったり投資会社を経営したりする人物でした。
ところが、リーマンショックを引き起こした金融界の金持ちたちがまったく刑罰を受けない不平等に<道徳感情>が強烈に刺激され、美しい図式的計画によって世の中を変革させることを目指すようになったのです。
まさしく、アダム・スミスが『道徳感情論』で非難している<システムの人>そのものです。
とにかくバノンが囚われている因果は、米国は危機に陥ると80年ごとに大戦争を起して生まれ変わるという、まさしくこれ以上はない単純なる幾何学的理論だったりします。
しかし、歴史を振り返ってみると、独立戦争、南北戦争、第二次大戦と実際に米国は80年ごとに大戦争を起して新しい段階に入っているのです。
しかも、第二次大戦参戦から76年後の今年、バノン自身が大統領上級顧問と国家安全保障会議の常任メンバーに就任したんですから、単純極まりない観念的な世界認識を笑ってばかりもいられません。
国家安全保障会議というのは、米国が戦争をはじめるかどうかを最終決定する機関です。トランプ政権では信じられないことに、統合参謀本部議長と国家情報長官を常任メンバーから外してしまいました。
軍や諜報機関からの客観的情報を入れずに、戦争をはじめるかどうかを決めるということで、現実よりバノンの抽象的観念が優先する国家戦略体制を構築したわけです。
これはもう、現実の世界情勢がどうであろうと、80年目の大戦争をバノンは引き起こそうとするでしょう。しかも、世界を崩壊させることにより、自然と新しい世界が生れるのだと公言しています。大量の犠牲者が出ることはむしろ必要だと考えているようで、<システムの人>が偉大なる理想のためにサイコパス化した典型ではあります。
国家安全保障会議から統合参謀本部議長と国家情報長官を外すなどという離れ業をやってのけるほど、ホワイトハウスにおけるバノンの影響力は絶大でした。彼を抑えつけることができるのは、もはやトランプ大統領しかないという状況になったのです。
そのトランプがより巨大なる評判を得るために、あるいは耐え難い退屈をまぎらわすために、戦争が一番の道だと考えれば、バノンの戦略に乗っかることになります。しかし、果たしてそんな具合になったりするでしょうか。
ここで頼りとなるのが、バノンの<システムの人>としてのこだわりです。幾何学的な美しい計画に取り憑かれている彼は、できるだけ80という数字に近づけるため、トランプの初回任期ぎりぎりの4年間は待とうとするでしょう。
また、もうひとつ頼りとなるのが、評判を得たい、さらには退屈を解消したいというだけで、特別なにをやりたいという理想もなく大統領になってしまったトランプのサイコパス的行動です。
トランプが大統領になるだろうと予言したマイケル・ムーアは、トランプが法を犯して大統領をクビになるだろうという予言もしています。トランプの飽きっぽい性格から、任期途中で自ら政権を放り出すのではと考えている人も大勢います。トランプが4年保たないほうに賭ける人もかなり多く、ブックメーカーのオッズは低いままです。
これは現実的にありそうな話です。何故か米国大統領はなんでもできると思っている人がいるのですが、議会の力が大きい米国では日本の首相よりも自分の意志通りに政策を決めるのは難しいのです。共和党とさえ対立点の多いトランプは、そうとうに苦労するでしょう。
これまで自分の企業やテレビ番組で好き放題にやってきた彼が、不自由極まりない大統領の座なんて退屈だと考えれば、我慢して留まるわけがありません。
9.11によって<道徳感情>を強く刺激された議会が認知バイアスによる因果の錯誤に押し流され、何故かテロとはまったく関係ないイラクに参戦しようとするブッシュ大統領を圧倒的多数で支持したようなことが起ればまた別ですが。
いや、たとえそんなことになっても、退屈は解消されないかもしれません。
勝算のない無謀な選挙戦に自ら突っ込んで勝ち上がる過程こそが刺激と注目を一身に浴びる快感に繋がっていたのであって、大統領職にそんな魅力はないでしょう。
いまだに去年の選挙戦のことばかりツイートしていることからも、トランプの興味がどこにあるのかが判ります。
いずれにせよ、トランプにとってバノンの理想なんかどうでもいいわけです。世間を驚かして話題になるから当初はその政策を採用しましたが、利用価値がないと考えればいつでも躊躇なく切り捨てるはずです。
そして、バノンは4月に国家安全保障会議から外されてしまいました。統合参謀本部議長と国家情報長官も、あっさり常任メンバーに戻されました。
しかしながら、バノンは依然として大統領上級顧問として大きな影響力を保持したままで、彼の真の狙いが4年後である限り、基本的な構図は変わっていないのです。
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いまはまだ早いと思っているのか、あるいは自分が動かなくともどうせ大規模戦争になるだろうと思っているのか、これまでも国家安全保障会議で積極的な発言はしていなかったようですし。
4年後に何も起きなかったときこそが、<システムの人>としてのバノンの計画遂行の本番ではあります。仮に政権から追い出されても、フェイクニュースサイトを駆使してオルタナ右翼を操るその扇動力はあなどれません。
むしろ、トランプが何もできないままに政権を放り出して、幾何学的計画を期待した支持者たちが落胆したあとこそ、バノンの出番なのかも知れません。
さらに、バノンが外れてから逆にシリアや北朝鮮との対立姿勢を強めて戦争の危機が高まったり、また振り上げた拳を引っ込めたりもしています。良くも悪くも壮大なる計画を遂行しようとするバノンとは違って、戦略もなく行き当たりばったりのトランプ大統領のやり方が前面に出てきたわけです。
しかし、一見バラバラのように見えて、恐怖心がなくリスク計算をできない者が、失敗や報復を恐れず最大限に評判を得られると思った案件へ闇雲に突っ込み、後始末などやらずにまた別の良さそうに思える案件に突き進むという、ひたすら評判を追い求める行動としては一貫しています。
今後の動向は、これらの<システムの人>やサイコパス的人物たちの<道徳感情>に突き動かされる精神の歯車の噛み合い具合で決まってくるのです。
それぞれの歯車に働きかけて、より良き方向に向かわせたいと考える米国国民や我々のような外国人は、<道徳感情>の仕組みをより深く理解しなければなりません。それはもちろん、自分自身の<道徳感情>による認識や行動のゆがみを自覚することも含まれているのですが。
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